さんきゅー農場日記

教育勅語について

6月 5th, 2017

ますます右傾化する安倍政権ですが、国会で教育勅語を肯定する発言まで飛び出した時は、さすがにぶっ飛びました。心のなかで思っていたとしても普通は発言できません。過去の戦争をも肯定していると思われかねない発言だからです。それが国会で稲村防衛相、下村文科相から相次いで肯定する発言がでたことは驚くべきことで、ここまで右傾化した政権なのかと改めて思い知らされました。

教育勅語に基づいた戦前の道徳教育が、国民を戦争へと駆り立て多大な悲劇を招いた過程に、需要な役割を担ったことは間違いありません。この教育勅語は1948年、衆議院で排除に関する決議、参議院で失効確認に関する決議により、廃止が決まりました、その時、提出者の松岡駒吉氏は以下の発言をしています。

思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。(抄)

憲法98条とは、憲法は最高法規であり、この憲法に反する法律、命令、勅動などはすべて効力を有しない旨が書かれています。要するに教育勅語は憲法違反だと言っているわけです。
この発言をうけた当時の文部大臣森戸辰男氏は、このように答弁しています。

昭和二十一年十月八日以後、文部省は次官通牒をもつて、教育勅語を過去の文献として取扱い、かりそめにもそれらを神格化することのないように、注意を喚起いたしたのであります。(抄)

森戸大臣は、将来濫用される危険に触れていますが、その懸念は現在の政治問題となっています。
一般の方でも「教育勅語はよいところもある」と語る人がいますが、そこにいくら真実が含まれていても、そのような見方はあまりにも浅薄であり、ことの本質を見誤っていると言えるのではないでしょうか。

教育勅語の内容で何がいけないかというと、それは戦前の道徳教育の基本となっている「愛国心」です。
国を愛することは、けっして悪いことではありません。ここでいう愛国心は、国家に反抗せず、国家を愛し、国家が定めた方針に国民が一体となって付き従うように植え付けるための道徳教育が、通底としてあることが問題なのです。
帰属集団への愛着に根ざし、政府批判も辞さない郷土を愛する心ではなく、君主制の政治システムを維持するためのものであったことは、多くの人が指摘しています。

また、「真正ノ男子ニアリテハ、国家ノ為メニ死スルヨリ愉快なることナカルベキカナ(”一旦緩急アレハ義勇公に奉シ”の解説)」といった教えは、根底に反利己主義の思想があり、ここでいう反利己主義は、利己主義対利他主義ではなく、利己主義対国家主義と言えるものだと思います。

この反利己主義というものにも疑問を感じます。
いま、無縁社会が進み、多くの人が孤独死に至ることが問題となっています。その背景にあるものは「迷惑をかけたくない」という気持ちです。「生きたい」とか「助けてほしい」といった訴えも「迷惑」や「わがまま」に捉えてしまう社会が、無縁社会をつくっているのだと思います。

経済の世界をはじめとし、利己主義が広がっている世の中で、自分のことを認めることを正当に評価されないなか、「反利己主義のおもいやり」が善としている現状に、生きづらさを感じている人は多くないでしょうか。

道徳教育のうさんくささは以前にも書かせていただきました。
               →「子どもの育ちを支えるるしくみについての一般質問

森友学園で、こどもたちが教育勅語を朗唱する姿は、おぞましいものがありました。
国務大臣が、国会で教育勅語を肯定する状況は以上です。
国会はもう一度、教育勅語を排除する決議をするべきだと思います。

 

世界一高い供託金

5月 31st, 2017

緑の党・グリーンズジャパンの地域代表協議会にに出席、選挙供託金違憲訴訟・弁護団代表の宇都宮健児さんを招いた勉強会が開催されました。

供託金というのは、選挙のとき立候補するにあたって必要なお金で、一定の票が取れないと没収されてしまいます。ちなみに町村議員は供託金はかかりません。

 市議選  30万円
 町長選  50万円
 県議選  60万円
 市長選  100万円
 衆議院選 300万円
 参議院選 600万円

日本国憲法の前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・・」から始まる。このことで日本は議会制民主主義をとっていることが明らかとなっているわけです。そして議院及び選挙人の資格を規定した憲法44条では

第四十四条
両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

とあります。
財産又は収入によつて差別してはならない。とあるのにも関わらず選挙に供託金がかかることは違憲ではないかというのが、選挙供託金違憲訴訟です。

*緑の党・グリーンズジャパンHPより

しかも、この供託金、日本の金額の高さは群を抜いています。
貧困層は国民の16.1%。6人に一人が貧困と言われ、高額な供託金は貧困層は、選挙に出るなと言わんばかりです。ちなみに貧困層は年収120万円以下で、国民全体の中央値は可処分所得240万円。普通の人は国政選挙のための300万〜600万円は用意できません。
貧困の大きな原因である非正規労働者は、労働者の4割の2000万人
そのほか、貯蓄がない世帯が3世帯に一世帯。
生活保護を受けている人が216万人
こういった人たちが、自分たちの代表を選べないことは、やはり憲法の精神に反していると言えます。

国は、泡沫候補や売名行為を抑えるためとの説明ですが、それは選挙によって選択されるわけで、立候補の段階で制限してしまうようなことはするべきではないでしょう。
多様な意見を吸い上げるのが、議会制民主主義であるならば、高い供託金は改める必要があります。

いまの日本の国政選挙は、既存の政党にかなり有利にできています。
参議院選挙の比例は、政党要件がない政治団体は10人出さなければなりません。600万円×10人で6000万円かかるわけです。これでは新しい政党を誕生させるのは、かなり難しいことになります。今の日本では新しい政党ができても、既存の政治家が右から左へと移動しているだけで、新しい風にはなっていません。
二世議員がはびこるわけは、選挙制度のあると思います。

今のアベ一極集中は、小選挙区に移行した時から始まりました。
一部の特権階級から、政治を市民の手に移さなければなりません。
民主主義を守るなら、まずは選挙制度を改革しなければならないでしょう。

「共謀罪」衆院法務委員会通過について

5月 21st, 2017

「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法の改正が衆院法務委員会通過したことについて、強い憤りを感じています。監視社会の到来は国民が萎縮し、息苦しい世の中になることを想像されます。

これまで全体主義の中、監視社会の息苦しさを描いた多くのフィクションがありました。カンボジアの内戦を描いた映画キリング・フィールド、チリのクーデターを描いた映画ミッシング、中国の文化大革命を描いた山崎豊子氏の大地の子はドラマになり、多くの人が目にしたと思います。どの作品も監視社会の息苦しさの中、人々の苦悩を描いています。
日本の戦前も軍国主義の中、息苦しい社会でした。このような社会を二度と作らないことが、世界的な共通認識ではないかと思います。

国連特別報告者のケナタッチ氏が、「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」として日本政府に書簡を送ったことが報道されました。国連の国際組織犯罪防止条約に批准するための法案が、同じ国連から懸念されているというもおかしな話です。

共謀罪は、これまで3回も廃案になった法案です。集団的自衛権の行使も戦後70年間一貫して認めてなかったことです。このようなことが次々と強行採決されている今の国会は、果たして民主主義が正しく機能しているか疑わざるを得ません。

・教育基本法の改悪
・集団的自衛権の行使容認
・秘密保護法
・教育勅語について、国会での容認する発言
・共謀罪
・自民党の憲法改正案

このところの一連の流れです。
普段生活していると感じないかもしれませんが、この国は大きく右に旋回しています。
「きなくさいなと思ったら、その後は早かったよ」
なにかの本で、このような戦争を経験した人の談話を読んだことがあります。
ぼくたちは現状を冷静に見つめ、しっかりと考えていく必要があると思います。

吉田満さんの「戦艦大和の最後」という名著がありますが、その中で臼淵大尉がこのような発言をしています。

 ”進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。
 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れ
 ていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ救
 われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃな
 いか。”

戦艦大和の最後の出撃前夜の発言です。
ぼくたちが暮らす今の平和な日本は、こうした多くの人たちの犠牲によって成り立っていることを忘れてはいけません。二度と、あの悲劇を繰り返さないことが、戦後を生きる僕たちの使命ではないかと思います。

最近、単なる機能のみの、浅薄な議論が多いように思います。
いまの時代は歴史の積み重ねでできている。
そのことを踏まえ、今の時代をつくっていく必要があるのではないでしょうか。

服従

5月 6th, 2017

中道無所属のマクロン氏と極右政党・国民戦線ル・ペン氏との決選投票が注目を集めているフランス大統領選挙ですが、ミシェル・ウエルベックの小説「服従」では、極右・国民戦線のル・ペン氏と、穏健イスラーム政党の党首が決戦に挑みます。

フランスでは、これまで中道右派(現共和党)と中道左派(現社会党)の二大政党が政権を分かち合ってきましたが、2022年の大統領選で第一回の投票が極右・国民戦線が34%で断トツのトップになり、イスラーム同胞党が2位、僅差で社会党が3位となってしまいます。
有権者は、ファシストかイスラムかの究極の選択を迫られるわけですが、ファシストよりはマシだろうという事で、決選投票でイスラーム同胞党が1位となりイスラム政権が誕生します。

この小説は、2015年のシャルリー・エブド襲撃事件の当日に発売され、フランスで大ベストセラーになりました。IS問題やポピュリズム旋風が吹き荒れるヨーロッパで、かなりの人が関心をもって読まれたようです。

伝統的な既存政党は右派も左派も、経済的・社会的な問題に十分に対応してきませんでした。既存のエスタブリッシュメント(エリート)への不満がポピュリズム政党に流れています。ポピュリズムとは、理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、大衆の権利を主張するものです。
現実の大統領選でも決選投票に進んだ候補者2人のいずれもが、フランスの伝統ある既成政党の出身ではなかったのは、現代フランス史上初めてのこと。この小説を、単なるフィクションとは片付けられないように思います。

ポピュリズム政党の極端なメッセージは、現状に不満を持っている人たちに心地よく響きます。かならずしも中道右派を支持していた人が極右ということではなく、左派から極右に走る事も多いようですが、根底にあるのは既存の社会システムを壊してくれるという統一した期待にあるのではないかと思います。日本ポピュリズムといえば小泉純一郎氏や橋下徹氏ですが、その主張よりも世の中をぶっ壊してくれるとうい事への期待がほとんどだったのではないでしょうか。アメリカのトランプも然りです。

多くの人が支持する政党が政権を担う政治システムが民主主義であるならば、ポピュリズムが台頭する事は正しい事なのでしょうか。

先日、ヒトラーの死から70年が立ち「わが闘争」の著作権切れにより誰でも出版できるようになることを危惧するドイツのドキュメンタリーが放映されました。わが闘争で書かれている外国人を攻撃する徹底した国粋主義が、移民問題で悩むヨーロッパで再評価されているとのこと。複雑な問題をより単純化することで、極右ポピュリズム勢力の共感も得ているようです。ネット上の中国、韓国、北朝鮮への汚い言葉の投稿をみると、日本も人ごとではないように思います。

ポピュリズム政党は世界を敵と味方で線引きをし二項対立をつくることで分かりやすさを作り上げてきました。SNSはそのことを助長しているように思えます。元ネタをうまく加工して相手を揶揄するような投稿が多く、そこにはオリジナリティは感じられません。ですからSNSに流れている右の論調も左の論調もあまり好きにはなれません。分かりやすさにごまかされず、もっと深いところで議論する必要があるのではないでしょうか。

フランスの思想家トクヴィルは、「アメリカのデモクラシー」の中で、当時、評価が高かったアメリカの民主主義について「世論による専制政治」や「多数派による暴政」へと変貌を遂げる可能性について書かれています。そうした変貌への歯止めとして”宗教”がバランサーになることが言及されています。トクヴィルは19世紀前半の思想家なのですが、現在、宗教がバランサーとなり得るかどうか、疑問を感じないわけにはいきません。

ネットには情報が溢れ、宗教がバランサーとなりえない現在では、より一層ひとりひとりの「考える力」が重要となってきたと思います。分かりやすさに流されずに自分自身の考えを持つっことが必要となります。

小説「服従」のタイトルですが、主人公は大学教授で最初はイスラム政権に抵抗していますが、やがて現体制のあるがままを受け入れる姿(服従)を描いています。インテリは弱い存在で、知識や教養がいかに脆いかということが描かれています。

今の世の中、自分自身を維持していくことはとても難しいのかもしれません。
しかし、どんな時でも時流に流されず、自分の考えを持つ努力をしていくこと。いま、ぼくらに課せられた役割のように思います。

子どもの権利条約フォーラム2017in信州

4月 25th, 2017

子どもの権利条約フォーラム2017in信州。
12月の開催に向けスタートしました。

子どもの権利条約フォーラムは、国連の子どもの権利条約を日本が批准したことを受け、1993年より毎年各地で開催されています。去年は関西(大阪)、その前は石巻、そして今年は長野県の茅野市で開催されます。

子どもの権利条約とは、第3条の子どもの最善の利益を考えることは地域の役割であるという本旨のもと、子どもを一人の人格者として権利を守っていかなければならないというもので、大きく分けて、①生きる権利②守られる権利③育つ権利④参加する権利の4つが柱となっています。
参加する権利とは、大人たちが勝手に決めるのではなく、子どもの意見も取り入れたまちづくりをしていこうよ。というもので、「大人と子どものパートナーシップ」、今はやりの言葉です。

「最善の利益」というのもよくよく考えると難しい。例えば、子どもたちを学校に行かせることは社会的に見ると「最善の利益」ですが、一人一人をみると決してそうではない場合があります。子どもの施策を考える場合、この「最善の利益」とは何かを深く掘り下げ、表面的で画一的ではない方法を選択していく必要があるのではないでしょうか。

この子どもの権利条約。批准されて25年もたつのになかなか普及されていません。
なぜかというと、「子どもに権利なんかを渡すと”わがまま”になる」という考えが普及しているからです。個人の権利を尊重するということは他人の権利も尊重するということですから、決して”わがまま”ということにはなりません。欧米では当たり前の考えですが、日本では権利と”わがまま”が同意語として考えられる傾向があります。もう少し「権利」について、子どもの頃から学習する必要がありますね。

もう一つ、子どもの権利条約は途上国の子どものためにあり、先進国である日本には関係のないという考え。
子どもの権利条約は、ナチス占領下のポーランドで、多くのユダヤ人の子どもが亡くなったことに起因しています。子どもたちとともにホロコーストの犠牲になったコルチャック先生の「子どもの死についての権利」「子どもの今日という日についての権利」「子どものあるがままである権利」という3つの思想を強く受け、子どもの権利条約は国連で採択されました。

これまで、あまり普及に積極的ではなかった政府ですが、去年、児童福祉法が改正され第1条が「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのつとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する」となりました。

児童福祉法は、子どもの福祉を考える上での基本原則ですが、その理念として「子どもの権利条約」を掲げたわけです。子どもの貧困がフォーカスを浴び、各地で子ども食堂が開催される中、子どものことを考える場合の指針として、もう一度読み返す必要があるのではないでしょうか。

さて、このフォーラムは春先、実行委員会を立ち上げ、権利条約のことや子ども現状・課題など、みんなで勉強しながら、県内各地の子ども・子育て支援をしている個人やNPO・市民団体とネットワークをつくり、フォーラムをつくり上げていくことを特徴としています。
この日は、42名が実行委員会に登録してくれました。

特に毎回参加していただかなければいけないということはありません。
自分のできる範囲で参加してください。
実行委員会は随時募集しています。
ぜひ、多くの参加お待ちしております。

お問い合わせはこちら kodomonokenri.shinshuu@gmail.com
FBページはこちら   こどもの権利条約フォーラムin信州
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