さんきゅー農場日記

「共謀罪」法案成立

6月 15th, 2017

「共謀罪」法案が成立しました。
参院法務委員会での採決を省略し、本会議で可決するという手法は、国民の心配を助長するだけで、多くの人が感じている「共謀罪」法案についての不安は払拭されることはありませんでした。このことは、国民軽視であり、国会軽視であり、参議院の存在意義すら否定するようなやり方です。
代議制民主主義とは、「有権者の意思を反映した政策決定の方法」であるはずですが、安倍政権のこれまでのやり方は、閣議決定、強行採決など、民意を汲み取る努力を怠っています。代議制民主主義の欠点が露骨に出ているのが、今の状況だと思います。

共謀とは何か、簡単に表すと
  ①頭で考える
  ②考えたことを誰かに相談する  陰謀罪・共謀罪
  ③準備をする          予備罪・準備罪
  ④実行行為の着手        未遂罪
  ⑤犯罪成立           既遂罪

日本の刑法は既遂罪を重く処罰することが原則ですが、重要な犯罪については予備、未遂など個別に対応していて、爆発物関係の犯罪は共謀の段階からの処罰が可能。現在、13の犯罪について共謀罪が適用されることになっています。テロ犯罪といわれているような重大犯罪はすでに未遂前の段階から処罰可能な法制度となっているといえます。

犯罪を行うことを話し合った後で、「やっぱりやめた。自分はやりたくない」と言っても共謀罪は成立してしまいます。共謀の未遂や中止はありません。助かる道は「密告」しかないわけです。今回の共謀罪は277の犯罪を対象としていますので、一般に人もまったく関係のないこととは言えません。暗い密告社会になることを危惧せずにはいられません。

政府は、テロ対策のため国連国際組織犯罪防止条約の批准するためとの説明をしていますが、この条約はマフィアを想定したものでテロ対策ではありませんし、国連特別報告者ケナタッチ氏の「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」という発言からもわかるように、条約は共謀罪立法を義務付けてはいません。

政府はもう一つ、東京オリンピックの開催のためと説明していますが、これまで東京オリンピック招致にあたって共謀罪について検討されたこともありませんし、共謀罪立法の文脈のなかでもオリンピックの名前はでてきません。オリンピックの開催のためというのは、後付けとしか思えません。

テロ対策でもなく、オリンピックのためでもないとしたら、いったい何のために急いで立法する必要があったのでしょうか。疑問を感じないわけにはいきません。

共謀罪では、テロとはおよそ関係のない277種類もの犯罪が対象となるわけで、新たな法律ができるというよりは、「刑法の新体系」が出来上がるといえます。
実は日本国政府時は、この国連国際組織犯罪防止条約の審議の過程で「共謀罪は我が国の刑事法体系になじまない」と修正案を提出しているのです。日本国政府も、共謀罪を新たな国内法化にすることは、日本の法制度の基本原則に反すると考えていたことになります。日本の法律は内心の自由を犯さないことが原則です。

安倍内閣は、この国をどのような国にしたいと考えているのでしょうか。
想像できることは、国の管理が行き届いた戦前のナショナリズムの国家です。
戦前のナショナリズムは、国内に限らず世界を巻き込んだ悲劇をつくりだしました。
ぼくたちは、そのことを回避するための努力は怠ってはいけないと思います。

「暮らしの手帖」四賀ソーラー視察

6月 11th, 2017

雑誌「暮らしの手帖」の編集の方々が、四賀ソーラーを視察に来ていただきました。
暮らしにとってエネルギーは欠かせないもの。
いまの自然エルギーの問題にも関心があったのだと思います。

これまで、いろいろな方が視察に来ていますが、「なぜ、こんなところに…」という感情を持つことは共通のようです。森林のなかに、大きな沢があり、小川が流れ、湿地には多様な植物があり、この起伏のある形状をならしてメガソーラーを開発するのは自然破壊ではないのか。現地をみれば、そのように思うのは普通のことだと思います。
紙面で見る計画書では納得できる計画も、現地を見れば違う感情が湧き上がってきます。
ぼくらは現場を見ることの大切さを痛感しています。

計画地のすぐ上は霧ケ峰高原、池のくるみという場所です。
雨が降るとここに水がたまり、計画地の地下を通り茅野市の大泉湧水、諏訪市の南沢水源に流れているというのがぼくらの主張ですが、開発業者の主張は、計画地の地下を迂回して水は流れるので、メガソーラーをつくっても湧水への影響はないという考えです。
ちなみに南沢水源の湧水は諏訪市の4割の人が水道水として利用しています。

視察の後の意見交換の場では、エネルギーの地産地消の話が中心となりました。
自分たちで使うエネルギーを自分たちで設置するご当地エネルギーならば、こんな場所につくることはありえません。
「食」についての地産地消の考えは定着しつつあります。もちろん健康にも良いのですが、自分たちの暮らしの中の風景にあるものを食べることで、自分たちは自然から命を分け与えられているという感覚、自然とのつながりを感じることが良いことだと思います。

エネルギーの問題も同じことがいえるのではないでしょうか。
水道から流れる水は水道局が作り出すものではありません。ぼくたちは自然のなかにある水を利用しているのですが、文明社会での生活は、そのことを意識することなく快適な生活ができてしまいます。
自然エネルギーの普及は、そのことをもう一度考えるためのきっかけになると思っていたのですが、マーケティング重視のいまの普及方法では、真逆の結果にしかなりません。

今回の視察から得たことを、「暮らしの手帖」で記事にしてくれるそうです。
どんな記事になるのかたのしみです。

教育勅語について

6月 5th, 2017

ますます右傾化する安倍政権ですが、国会で教育勅語を肯定する発言まで飛び出した時は、さすがにぶっ飛びました。心のなかで思っていたとしても普通は発言できません。過去の戦争をも肯定していると思われかねない発言だからです。それが国会で稲村防衛相、下村文科相から相次いで肯定する発言がでたことは驚くべきことで、ここまで右傾化した政権なのかと改めて思い知らされました。

教育勅語に基づいた戦前の道徳教育が、国民を戦争へと駆り立て多大な悲劇を招いた過程に、需要な役割を担ったことは間違いありません。この教育勅語は1948年、衆議院で排除に関する決議、参議院で失効確認に関する決議により、廃止が決まりました、その時、提出者の松岡駒吉氏は以下の発言をしています。

思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。(抄)

憲法98条とは、憲法は最高法規であり、この憲法に反する法律、命令、勅動などはすべて効力を有しない旨が書かれています。要するに教育勅語は憲法違反だと言っているわけです。
この発言をうけた当時の文部大臣森戸辰男氏は、このように答弁しています。

昭和二十一年十月八日以後、文部省は次官通牒をもつて、教育勅語を過去の文献として取扱い、かりそめにもそれらを神格化することのないように、注意を喚起いたしたのであります。(抄)

森戸大臣は、将来濫用される危険に触れていますが、その懸念は現在の政治問題となっています。
一般の方でも「教育勅語はよいところもある」と語る人がいますが、そこにいくら真実が含まれていても、そのような見方はあまりにも浅薄であり、ことの本質を見誤っていると言えるのではないでしょうか。

教育勅語の内容で何がいけないかというと、それは戦前の道徳教育の基本となっている「愛国心」です。
国を愛することは、けっして悪いことではありません。ここでいう愛国心は、国家に反抗せず、国家を愛し、国家が定めた方針に国民が一体となって付き従うように植え付けるための道徳教育が、通底としてあることが問題なのです。
帰属集団への愛着に根ざし、政府批判も辞さない郷土を愛する心ではなく、君主制の政治システムを維持するためのものであったことは、多くの人が指摘しています。

また、「真正ノ男子ニアリテハ、国家ノ為メニ死スルヨリ愉快なることナカルベキカナ(”一旦緩急アレハ義勇公に奉シ”の解説)」といった教えは、根底に反利己主義の思想があり、ここでいう反利己主義は、利己主義対利他主義ではなく、利己主義対国家主義と言えるものだと思います。

この反利己主義というものにも疑問を感じます。
いま、無縁社会が進み、多くの人が孤独死に至ることが問題となっています。その背景にあるものは「迷惑をかけたくない」という気持ちです。「生きたい」とか「助けてほしい」といった訴えも「迷惑」や「わがまま」に捉えてしまう社会が、無縁社会をつくっているのだと思います。

経済の世界をはじめとし、利己主義が広がっている世の中で、自分のことを認めることを正当に評価されないなか、「反利己主義のおもいやり」が善としている現状に、生きづらさを感じている人は多くないでしょうか。

道徳教育のうさんくささは以前にも書かせていただきました。
               →「子どもの育ちを支えるるしくみについての一般質問

森友学園で、こどもたちが教育勅語を朗唱する姿は、おぞましいものがありました。
国務大臣が、国会で教育勅語を肯定する状況は以上です。
国会はもう一度、教育勅語を排除する決議をするべきだと思います。

 

世界一高い供託金

5月 31st, 2017

緑の党・グリーンズジャパンの地域代表協議会にに出席、選挙供託金違憲訴訟・弁護団代表の宇都宮健児さんを招いた勉強会が開催されました。

供託金というのは、選挙のとき立候補するにあたって必要なお金で、一定の票が取れないと没収されてしまいます。ちなみに町村議員は供託金はかかりません。

 市議選  30万円
 町長選  50万円
 県議選  60万円
 市長選  100万円
 衆議院選 300万円
 参議院選 600万円

日本国憲法の前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・・」から始まる。このことで日本は議会制民主主義をとっていることが明らかとなっているわけです。そして議院及び選挙人の資格を規定した憲法44条では

第四十四条
両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

とあります。
財産又は収入によつて差別してはならない。とあるのにも関わらず選挙に供託金がかかることは違憲ではないかというのが、選挙供託金違憲訴訟です。

*緑の党・グリーンズジャパンHPより

しかも、この供託金、日本の金額の高さは群を抜いています。
貧困層は国民の16.1%。6人に一人が貧困と言われ、高額な供託金は貧困層は、選挙に出るなと言わんばかりです。ちなみに貧困層は年収120万円以下で、国民全体の中央値は可処分所得240万円。普通の人は国政選挙のための300万〜600万円は用意できません。
貧困の大きな原因である非正規労働者は、労働者の4割の2000万人
そのほか、貯蓄がない世帯が3世帯に一世帯。
生活保護を受けている人が216万人
こういった人たちが、自分たちの代表を選べないことは、やはり憲法の精神に反していると言えます。

国は、泡沫候補や売名行為を抑えるためとの説明ですが、それは選挙によって選択されるわけで、立候補の段階で制限してしまうようなことはするべきではないでしょう。
多様な意見を吸い上げるのが、議会制民主主義であるならば、高い供託金は改める必要があります。

いまの日本の国政選挙は、既存の政党にかなり有利にできています。
参議院選挙の比例は、政党要件がない政治団体は10人出さなければなりません。600万円×10人で6000万円かかるわけです。これでは新しい政党を誕生させるのは、かなり難しいことになります。今の日本では新しい政党ができても、既存の政治家が右から左へと移動しているだけで、新しい風にはなっていません。
二世議員がはびこるわけは、選挙制度のあると思います。

今のアベ一極集中は、小選挙区に移行した時から始まりました。
一部の特権階級から、政治を市民の手に移さなければなりません。
民主主義を守るなら、まずは選挙制度を改革しなければならないでしょう。

「共謀罪」衆院法務委員会通過について

5月 21st, 2017

「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法の改正が衆院法務委員会通過したことについて、強い憤りを感じています。監視社会の到来は国民が萎縮し、息苦しい世の中になることを想像されます。

これまで全体主義の中、監視社会の息苦しさを描いた多くのフィクションがありました。カンボジアの内戦を描いた映画キリング・フィールド、チリのクーデターを描いた映画ミッシング、中国の文化大革命を描いた山崎豊子氏の大地の子はドラマになり、多くの人が目にしたと思います。どの作品も監視社会の息苦しさの中、人々の苦悩を描いています。
日本の戦前も軍国主義の中、息苦しい社会でした。このような社会を二度と作らないことが、世界的な共通認識ではないかと思います。

国連特別報告者のケナタッチ氏が、「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」として日本政府に書簡を送ったことが報道されました。国連の国際組織犯罪防止条約に批准するための法案が、同じ国連から懸念されているというもおかしな話です。

共謀罪は、これまで3回も廃案になった法案です。集団的自衛権の行使も戦後70年間一貫して認めてなかったことです。このようなことが次々と強行採決されている今の国会は、果たして民主主義が正しく機能しているか疑わざるを得ません。

・教育基本法の改悪
・集団的自衛権の行使容認
・秘密保護法
・教育勅語について、国会での容認する発言
・共謀罪
・自民党の憲法改正案

このところの一連の流れです。
普段生活していると感じないかもしれませんが、この国は大きく右に旋回しています。
「きなくさいなと思ったら、その後は早かったよ」
なにかの本で、このような戦争を経験した人の談話を読んだことがあります。
ぼくたちは現状を冷静に見つめ、しっかりと考えていく必要があると思います。

吉田満さんの「戦艦大和の最後」という名著がありますが、その中で臼淵大尉がこのような発言をしています。

 ”進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。
 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れ
 ていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ救
 われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃな
 いか。”

戦艦大和の最後の出撃前夜の発言です。
ぼくたちが暮らす今の平和な日本は、こうした多くの人たちの犠牲によって成り立っていることを忘れてはいけません。二度と、あの悲劇を繰り返さないことが、戦後を生きる僕たちの使命ではないかと思います。

最近、単なる機能のみの、浅薄な議論が多いように思います。
いまの時代は歴史の積み重ねでできている。
そのことを踏まえ、今の時代をつくっていく必要があるのではないでしょうか。