富士見町太陽光発電設備の設置及び維持管理に関する条例・可決

富士見町6月議会最終日を傍聴してきました。初日から一般質問、委員会審査と傍聴してきましたので、議員さんたちと同じ日数議会に行ってきたことになります。(笑)

富士見町太陽光発電設備の設置及び維持管理に関する条例の審議は、二人の議員から修正案が提出されました。
内容は周辺住民の定義を事業区域の境界を50mから100mに変更するものです。この事は、私たち「富士見町内の太陽光発電事業を考える会」で提出した意見書にもある内容なので喜ばしいことですが、委員会審査の時、町から以下のような説明がありました。

「富士見町は発電効率の良い立地のため、10kWの発電は200㎡ぐらいだと考えられる。200㎡に対して100mまで周辺住民を広げた場合、3,7㌶が対象となる。76筆ぐらいが考えられその全てが説明会の対象となると、謄本をとって確認するなど事業者にも過度な負担を強いることになり対応する側の事務も煩雑になる。集落区の対象を100mにすることでカバーできる」

このような説明を聞いた議員たちは、なかなか修正案に賛成できなかったのではないでしょうか。修正案は否決され原案が賛成多数で可決されました。

原案に反対した議員も条例案の内容について異論があるだけで、条例をつくって規制をすることについての反対ではないと思われます。このことは非常に大きなことだと思っています。

私たちが「考える会」を立ち上げたのは今から1年半ほど前のこと。その頃は行政も議会も条例をつくって太陽光発電施設を規制しようなどの雰囲気はなく、私たちは住民直接請求をも視野に入れて活動していました。勉強会を重ね、町への要望書提出、担当課との懇談などを行い、時代が追いついたこともありようやく条例の制定となりました。

さて、条例については「考える会」の中でも”もっと厳しい条例にすべき”など様々な意見がありますが、私個人としてはとても良い条例ができたと思っています。

立憲主義は、国民の権利自由の保障と、国民の権利自由を保障するための国家組織の基本としての権力分立制です。国民一人一人の権利を最大限保障することが一番の目的といえます。私たちが住みやすい住環境を享受する権利はもちろんですが、財産権を活用しての営業活動も当然の権利として認められています。太陽光発電事業が犯罪行為ではないので、どちらも国民の権利として保障しなければいけません。どちらか片方に過度の規制をかけることは「権利の濫用」ということになってしまします。

行政法は戦前の強すぎる行政権の反省から、如何に行政権に対抗しうるかという視点の元、考えられてきました。過剰な抑止を規制するための比例原則。「目的のため必要な最小限度」という原則もあります。そういった状況の中、今回の条例はかなりギリギリのところを攻めてくれたと私は考えています。一般の人が思っているほど行政は完全無敵ではありません。

そもそも太陽光発電の問題は規制だけすれば解決するものとも思っていません。規制の根拠となる、守っていかなければならない自然環境や文化施設など、地域の資源を再確認し景観条例の施行や、ハザードマップの見直しなども必要だと思います。
今、町では県が作成したハザードマップの見直しを始め、ハザードマップに載っていないところで危ないところはないか、などの確認をしているところだと聞きました。自然災害が多発していることを考えると、太陽光発電施設だけでなく建築物の規制などが必要かもしれません。

また、背景には少子高齢化などによる森林や田畑の管理が難しくなってきたことも忘れてはいけません。今の問題は、地域の弱ってきたところを都会の事業者が入り込んできている状況です。太陽光発電の問題を機に地域を見つめ直す機会にしていかなければならないでしょう。

なにはともあれ条例ができたことは大歓迎です。
これまで強すぎる財産権に、地域住民は何の対抗手段もありませんでした。憲法第29条「財産権は、これを侵してはならない」とありますが、第2項では「公共の福祉に適合するように」との条件がつけられています。これまで「生命・健康・財産」などの法的利益については「公共の福祉」の要件として考えれてきましたが、自然保護や景観保全は重く受け止められてはきませんでした。日本は「環境権」に関する考えが欧米に比べ非常に遅れています。

こうした条例が各地でできることで、自然保護や景観保全が「公共の福祉」として認められてくるのではないでしょうか。
2004年に景観法が施行され、ようやく景観を法的に守る必要性が認知され始めました。まだ最近の話です。景観を含めた環境権の大切さは「地域」から発進していく必要があると思います。

Leave a Reply