教育勅語について

ますます右傾化する安倍政権ですが、国会で教育勅語を肯定する発言まで飛び出した時は、さすがにぶっ飛びました。心のなかで思っていたとしても普通は発言できません。過去の戦争をも肯定していると思われかねない発言だからです。それが国会で稲村防衛相、下村文科相から相次いで肯定する発言がでたことは驚くべきことで、ここまで右傾化した政権なのかと改めて思い知らされました。

教育勅語に基づいた戦前の道徳教育が、国民を戦争へと駆り立て多大な悲劇を招いた過程に、需要な役割を担ったことは間違いありません。この教育勅語は1948年、衆議院で排除に関する決議、参議院で失効確認に関する決議により、廃止が決まりました、その時、提出者の松岡駒吉氏は以下の発言をしています。

思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。(抄)

憲法98条とは、憲法は最高法規であり、この憲法に反する法律、命令、勅動などはすべて効力を有しない旨が書かれています。要するに教育勅語は憲法違反だと言っているわけです。
この発言をうけた当時の文部大臣森戸辰男氏は、このように答弁しています。

昭和二十一年十月八日以後、文部省は次官通牒をもつて、教育勅語を過去の文献として取扱い、かりそめにもそれらを神格化することのないように、注意を喚起いたしたのであります。(抄)

森戸大臣は、将来濫用される危険に触れていますが、その懸念は現在の政治問題となっています。
一般の方でも「教育勅語はよいところもある」と語る人がいますが、そこにいくら真実が含まれていても、そのような見方はあまりにも浅薄であり、ことの本質を見誤っていると言えるのではないでしょうか。

教育勅語の内容で何がいけないかというと、それは戦前の道徳教育の基本となっている「愛国心」です。
国を愛することは、けっして悪いことではありません。ここでいう愛国心は、国家に反抗せず、国家を愛し、国家が定めた方針に国民が一体となって付き従うように植え付けるための道徳教育が、通底としてあることが問題なのです。
帰属集団への愛着に根ざし、政府批判も辞さない郷土を愛する心ではなく、君主制の政治システムを維持するためのものであったことは、多くの人が指摘しています。

また、「真正ノ男子ニアリテハ、国家ノ為メニ死スルヨリ愉快なることナカルベキカナ(”一旦緩急アレハ義勇公に奉シ”の解説)」といった教えは、根底に反利己主義の思想があり、ここでいう反利己主義は、利己主義対利他主義ではなく、利己主義対国家主義と言えるものだと思います。

この反利己主義というものにも疑問を感じます。
いま、無縁社会が進み、多くの人が孤独死に至ることが問題となっています。その背景にあるものは「迷惑をかけたくない」という気持ちです。「生きたい」とか「助けてほしい」といった訴えも「迷惑」や「わがまま」に捉えてしまう社会が、無縁社会をつくっているのだと思います。

経済の世界をはじめとし、利己主義が広がっている世の中で、自分のことを認めることを正当に評価されないなか、「反利己主義のおもいやり」が善としている現状に、生きづらさを感じている人は多くないでしょうか。

道徳教育のうさんくささは以前にも書かせていただきました。
               →「子どもの育ちを支えるるしくみについての一般質問

森友学園で、こどもたちが教育勅語を朗唱する姿は、おぞましいものがありました。
国務大臣が、国会で教育勅語を肯定する状況は以上です。
国会はもう一度、教育勅語を排除する決議をするべきだと思います。

 

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