服従

中道無所属のマクロン氏と極右政党・国民戦線ル・ペン氏との決選投票が注目を集めているフランス大統領選挙ですが、ミシェル・ウエルベックの小説「服従」では、極右・国民戦線のル・ペン氏と、穏健イスラーム政党の党首が決戦に挑みます。

フランスでは、これまで中道右派(現共和党)と中道左派(現社会党)の二大政党が政権を分かち合ってきましたが、2022年の大統領選で第一回の投票が極右・国民戦線が34%で断トツのトップになり、イスラーム同胞党が2位、僅差で社会党が3位となってしまいます。
有権者は、ファシストかイスラムかの究極の選択を迫られるわけですが、ファシストよりはマシだろうという事で、決選投票でイスラーム同胞党が1位となりイスラム政権が誕生します。

この小説は、2015年のシャルリー・エブド襲撃事件の当日に発売され、フランスで大ベストセラーになりました。IS問題やポピュリズム旋風が吹き荒れるヨーロッパで、かなりの人が関心をもって読まれたようです。

伝統的な既存政党は右派も左派も、経済的・社会的な問題に十分に対応してきませんでした。既存のエスタブリッシュメント(エリート)への不満がポピュリズム政党に流れています。ポピュリズムとは、理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、大衆の権利を主張するものです。
現実の大統領選でも決選投票に進んだ候補者2人のいずれもが、フランスの伝統ある既成政党の出身ではなかったのは、現代フランス史上初めてのこと。この小説を、単なるフィクションとは片付けられないように思います。

ポピュリズム政党の極端なメッセージは、現状に不満を持っている人たちに心地よく響きます。かならずしも中道右派を支持していた人が極右ということではなく、左派から極右に走る事も多いようですが、根底にあるのは既存の社会システムを壊してくれるという統一した期待にあるのではないかと思います。日本ポピュリズムといえば小泉純一郎氏や橋下徹氏ですが、その主張よりも世の中をぶっ壊してくれるとうい事への期待がほとんどだったのではないでしょうか。アメリカのトランプも然りです。

多くの人が支持する政党が政権を担う政治システムが民主主義であるならば、ポピュリズムが台頭する事は正しい事なのでしょうか。

先日、ヒトラーの死から70年が立ち「わが闘争」の著作権切れにより誰でも出版できるようになることを危惧するドイツのドキュメンタリーが放映されました。わが闘争で書かれている外国人を攻撃する徹底した国粋主義が、移民問題で悩むヨーロッパで再評価されているとのこと。複雑な問題をより単純化することで、極右ポピュリズム勢力の共感も得ているようです。ネット上の中国、韓国、北朝鮮への汚い言葉の投稿をみると、日本も人ごとではないように思います。

ポピュリズム政党は世界を敵と味方で線引きをし二項対立をつくることで分かりやすさを作り上げてきました。SNSはそのことを助長しているように思えます。元ネタをうまく加工して相手を揶揄するような投稿が多く、そこにはオリジナリティは感じられません。ですからSNSに流れている右の論調も左の論調もあまり好きにはなれません。分かりやすさにごまかされず、もっと深いところで議論する必要があるのではないでしょうか。

フランスの思想家トクヴィルは、「アメリカのデモクラシー」の中で、当時、評価が高かったアメリカの民主主義について「世論による専制政治」や「多数派による暴政」へと変貌を遂げる可能性について書かれています。そうした変貌への歯止めとして”宗教”がバランサーになることが言及されています。トクヴィルは19世紀前半の思想家なのですが、現在、宗教がバランサーとなり得るかどうか、疑問を感じないわけにはいきません。

ネットには情報が溢れ、宗教がバランサーとなりえない現在では、より一層ひとりひとりの「考える力」が重要となってきたと思います。分かりやすさに流されずに自分自身の考えを持つっことが必要となります。

小説「服従」のタイトルですが、主人公は大学教授で最初はイスラム政権に抵抗していますが、やがて現体制のあるがままを受け入れる姿(服従)を描いています。インテリは弱い存在で、知識や教養がいかに脆いかということが描かれています。

今の世の中、自分自身を維持していくことはとても難しいのかもしれません。
しかし、どんな時でも時流に流されず、自分の考えを持つ努力をしていくこと。いま、ぼくらに課せられた役割のように思います。

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