子どもの貧困について

東京都の子どもの貧困をめぐる実態調査で、2割が生活困難層に当たることが報道されました。都による生活困難層とは。

①世帯年収が135万円以下である。
②水道光熱費や家賃の滞納の経験がある。
③経済的な理由で塾に通えなかったり、本やおもちゃが買えなかったりしたことがある。

1つの項目に該当すれば「周辺層」
2つ以上の項目に該当すれば「困窮者」だそうです。

調査を行った首都大学の阿部彩氏は、
「困窮層の子どもは、生活のあらゆる面で不利な状況に置かれていることが浮き彫りになった。貧困の連鎖を防ぐためにも、子どもだけでなく保護者も含めた早期の支援が求められる」
とコメントしています。

ここに来て急に、子どもの貧困問題が表面化されました。しかし、山根良一氏の「子どもに貧困を押しつける国・日本」によると、80年代からすでに貧困率10%を超えていたとのこと。保守政権時代には公表されず、最近民主党政権に変わった時に公表されたそうです。
73年のオイルショック以降、福祉の切り捨て、産業重視の政策をとり続け、格差が広がったのはバブルの頃。高所得者が増え世の中浮かれ気分だったのですが、実際は低所得者も増え格差が広がっていったのはこの頃からのようです。

2000年に来日した社会学者ボードリヤールが、「なぜ、日本が豊かなのかがわかった。それは日本人が貧しいからだ」という印象的な言葉を残しました。ボードリヤールは長時間労働や満員電車、狭くて高い住居など、人々の生活を通してのコメントだったとおもますが、「富める貧者の国」という言葉は、日本という国は、いかに全体が豊かになることを目指して個々の幸せを考えてこなかった国であるかを象徴する言葉のように思います。

さらに驚くべきことに、政策として税金を投入した再配分後の所得の方が、貧困率が上昇するという奇異な現象が長く続いていました。

国保など社会保障費が高いこと、児童手当や児童擁護手当が少ないことが主な原因で、上の図でもわかるように再配分をした後の方が貧困率が上がるなんて国は日本以外にはありません。
最近このことは解消されつつあるようですが、政府はこれまで如何にでたらめなことをやってきたかがわかります。

貧困対策にもっとも効果があるのは現金給付です。
中途半端では効果が上がらず無駄にコストだけがかかってしまいます。これまでの日本の政府がやってきた結果を見れば一目瞭然です。
しかし、日本においては貧困層への給付は厳しい目にさらされることが多い現状があります。世界的に見れば貧困層に対する給付は「当然」と考える人たちが多いのですが、なぜか日本では「自己責任」の名の下に貧困者に対して非常に冷たい。
貧困を放置しておけば、社会的コストは上昇します。もっと手前でしっかりとした対策をとることで社会的コストの上昇も抑えられるのではないでしょうか。
また、現在の貧困は個人の能力や努力だけでは解決できない構造的なものとして捉える必要です。とくに子どもたちに「自己責任」は問えません。平等な機会を与えることが、僕たち社会の責任ではないでしょうか。

こども食堂、フードバンク。学習支援など、政府よりも先に民間が対策に乗りだしました。根本的な解決にはならないかもしれませんが、どん底に落ちる手前で食い止められる可能性や、行政が見落としている困窮者の早期発見など、その効果は大きいと思います。

ぼくが考える貧困対策は
①政府、自治体が根本から解決するための対策をとること。
②地域のつながりによるこども支援・子育て支援の充実。
③子ども・子育て支援の市民団体への行政の支援。
この3つです。

”世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない”

宮沢賢治の農民芸術概論綱要のなかの言葉です。
貧困・格差について、真剣に対策を考えなければならない時代になったと思います。

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