チェルノブイリの祈り

放射能測定ボランティアの会の新年会の参加してきました。
学校給食の放射能測定を始めて1年ちょっとが経ちました。測定することで、一概に産地のことだけでなく品種による特性があるるなど、いろいろわかってきたことがあるようです。(もちろん基準値を超えるものはありません)
測定器の購入時に、基準値を超えるものが出なければ無駄な買い物になるのではないかとの意見もありましたが、ぼくはそうは思いません。測ることで、子どもたちに安心して食べてもらえるし基準値以下であることは、それはそれで喜ばしいことです。

物理学者の早野龍五さんも対談「知ろうとすること」の中で測定の大切さを語っています。
放射能は目に見えないため、人それぞれ感覚が違いますが、冷静に客観的データを積み重ねることで正しい判断をすることができます。現在20数名のボランティアで測定を行っています。関心ある方は参加してくだい。

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先日、「チェルノブイリの祈り」読みました。
チェルノブイリ事故後のインタヴュー集です
ノーベル賞を取ったものはだいたい読むようにしているのですが、詩や小説が多くインタヴュー集というのは非常に珍しい。ノーベル賞の中でも文学賞と経済学賞は政治的な意図がある場合があり、今回もその意図が感じられなくもありませんが、全体の構成、内容はノーベル賞に値するものだと思います。

 チェルノブイリは戦争に輪をかけた戦争です。
 人にはどこにも救いがない。
 大地の上のも。水の中にも。空の上にも。

                   〜本文より〜

チェルノブイリ事故と戦争の比較が多いのですが、戦争よりも不気味で不可解なものと捉えている人が多いようです。

 戦争なら理解できます。でも、これはなんなの?

そして一番事故の犠牲になったのは子どもたちです。
「ママ、私、もし障害児を生んでもやっぱり愛してあげるわ」
10年生(高校1年?)で、もうこんなことを考えている子もいます。

 ユーリャ、カーチャ、ワヂム、オクサーチ、オレグ。こんどはアンドレイ。
 アンドレイはいった。
 「ぼくらは死んだら科学になるんだ」
 カーチャは思った。
 「私たちは死んだら、忘れられちゃうのよ」
 ユーリャは泣いた。
 「私たち死ぬのね」
 いまでは、空はぼくにとって生きたものです。
 空を見上げると、そこにみんながいるから。

                    〜本文より〜

作者アレクシエービッチは、チェルノブイリ後は別世界になったと言ってます。

 チェルノブイリのことは忘れたがっています。最初はチェルノブイリに勝つことができる
 と思われていた。ところが、それが無意味な試みだとわかると、くちを閉ざしてしまった
 のです。
 自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることはむずかしい。
 チェルノブイリは、私たちをひとつの時代から別の時代へと移してしまったのです。
 私たちの前にあるのはだれにとっても新しい現実です。

                    〜本文より〜

フクシマを経験した私たちも新しい時代に移ってしまったと言えるかもしれません。これだけの多くのものを失ったのにもかかわらず、なぜ原発を再稼働しなくてはいけないのか理解に苦しみます。
co2やエネルギー政策のこと。感情的、感覚的なことを排除し冷静に考えることも大事ですが、人々の感情に寄り添って社会を作っていくことも大切だと思います。
「チェルノブイリの祈り」には大切な人や生活、自然環境、未来を失った人たちの苦悩が詰まっています。原発が必要だと思っている人は、まずはこの本を読んでもらいたいと思います。
チェルノブイリやフクシマの苦悩を受け止め、もう一度原発のない社会を目指すべきではないでしょうか。

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