デモクラシーとは何か

議員になってから3年半がたちました。
この間常に考えてきたとことは、デモクラシーとポピュリズムのことです。

なぜ、あれだけエネルギー政策や安全保障の問題に批判がありながら、与党は過半数を取ることができたのでしょうか。突然の選挙で野党が準備できなかったとか、争点がなかったなど様々な条件があったと言われていますが、では準備する時間があったら違う結果になったのでしょうか。
選挙は、議会は本当に民意を反映しているのでしょうか。そもそも民意ってなんでしょう。

現在、デモクラシーの制度的な基本は、代表制デモクラシーです。
これは町の議会も同じことで、代表としての議員の役割は何か。
また、選挙で選ばれた人だけで決めることが本当に民主主義なのか、いろいろ考えてみました。

デモクラシーの語源は、古代ギリシアのデモス(民衆)とクラティア(権力)からきていて、古代ギリシアではあまり良い意味では使われていませんでした。プラトンは大のデモクラシー嫌いで、デモクラシーとは貧しいものと無知なものが教育のあるものを支配することで、臆見のアナーキー(無政府状態)だと攻撃しました。

アリストテレスは善き統治は少数者の支配と多数の同意であるとし、プラトンの考えに修正を加え、その後ローマ共和政、フランス革命、アメリカ独立などを経て、現在の形になりました。

フランス革命ではルソーの「人はみな教育や財産にかかわりなく、公共の関心ごとに関して男も女も自分自身の意志を表明する権利を持つ」、アメリカではトクヴィルの「人はみな、もしそうしたいと望むならば政治に参加できる。ただしその際には、市民の権利を定義し、保護し、制限する秩序の規制の枠内で、同法市民の平等な権利を相互に尊重し合わなければならない」

これは今日みんながイメージしているデモクラシーだと思いますが、人民の権力といった理念や法的に保障された個人の権利、また、自由や平等など、それぞれ性質が違う理念がくっついて「デモクラシー」という言葉はたくさんの意味を持つようになりました。
そのためイメージとしてはわかるけど、実体がよく掴めず、「民主主義では・・」みたいな使い方をされると、なんだかよくわからないけど正しいことを言っているような気になってしまいます。
今こそ、デモクラシーについて歴史も含めた正しい知識を持つことが必要だと思います。

作家バーナード・ショーは「デモクラシーというものは、腐敗した少数の権力者を任命する代わりに、無能な多数者が選挙によって無能な人を選出することである」と言いました。
これはデモクラシーを考える上で常に危惧されてきたことです。多数がいつも正しい選択をするとは限らず、一歩間違うと「多数による専制」「多数者による暴政」「ポピュリズム」に陥る危険性があります。

また、政治学者のバーナード・クリックの著作の中に「デモクラシーの諸制度が比較的円滑に作動して、それが安全に保障してくれると、積極的なデモクラシー精神はもはや必要なくなったかと思われてきて、善良な市民が生まれてくる」とあります。
政府が望む品行方正な振る舞いをする善良な市民だけではなく、公的なものへ参加する積極的なシティズンシップが必要だと言っているわけです。

クリックは晩年、教育大臣への諮問機関「学校でのシティズンシップのための効果的教育について」の座長として、教育に力を入れていました
教育というと、何かと学力向上が話題になる富士見町も少しはこのことについて考える必要があると思います。

では、市民が常に正しいとは限らないのであれば、僕たち議員は何を基準に判断したら良いのでしょうか。

人々の意見、つまり世論があって、その民意を忠実に伝えることが代表の役割だとしたら、それは集計のための機械でしかないように思います。代表というのは、人々の意見を反映するよりは、むしろ人々の意見を作り出すことではないでしょうか。
デモクラシーとは多様な意見を人々と一緒になって考えていくことに本領があると思います。

だからぼくはこうやってブログを書いているんですけどね。
富士見町のことについて、一緒に考えていきましょう。

今年もよろしくお願いします。

2 Responses to “デモクラシーとは何か”

  1. 下川潤 Says:

    理想的な人がリーダーになればいいけど、そんな人は滅多にいない。うちの親父が、要するに衆愚政治を民主主義とい言い換えているだけや。と常々申しておりましたのを思い出します。でもそこで大切なのは教育ではないでしょうか。ここからが難しいところで、そんな人が出てくると、現在のアホなリーダーは困ってしまう。だから教育にはお金をかけたがらない。ここから、戦略的でなく、戦術的な考えに優れた人がいれば、あるいは何とかなるかもしれませんね。富士見に、そういう人はいませんかね?

  2. さんきゅー Says:

    欧米では教育の必要性を「良き市民をつくるため」と言います。やたら学力ばかりを気にする日本とは大違いですね。詰め込み式では勉強ができても、社会に無関心の無責任な大人が増えるだけです。
    本来子供たちが持っている能力を伸ばし、考えることができる大人を育てていかなければいけませんね。気の長い作業ですが、頑張っていきましょう。

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