養護学校で学んだこと

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先日、諏訪養護学校の諏訪養祭に参加してきました。
ぼくたちよっちゃばりと遊休農地で大豆を栽培してみそを作っている味の会は4、5年前から合同で「農業ボランティア」を結成。田植えや稲刈り、マラソン大会や新年会など、1年を通して交流を続けています。

今年は生徒たちと一緒にしらかばで作った馬を販売しました。
これはみんな生徒たちの手作りで、価格は大きさによって300円〜3000円まで。諏訪養は普段から陶器や革細工、キムチやみそなどをつくって販売していますが、この木馬も人気の商品で午前中の早い段階でほぼ完売状態になりました。

ボランティアと云いながら、元気に良い生徒たちに元気をもらい、楽しませて頂いています。

さて9月の議会の議員勉強会は(毎回思うのですが、なぜ本会議の最中に勉強会をやるのでしょうね?もっとヒマな時にやればいいのに。)、諏訪養護学校の関祐二先生に「養護学校で学んだこと」と題して話して頂きました。

あるとき生徒に
「私って障がい者なの?」
と聞かれ、返答に困っていたところ、別の生徒が
「人をいじめたり、差別したりする人こそ(心に)障がいがあるんだよ」
と答えたそうです。

このことで関先生は「障がい者」というのは社会が作り出していて、自分も差別する存在になりうることに気づかされたそうです。
ぼくたちは、つい自分が差別されないように考えてしまいます。でもそんな気持ちが差別をつくりだす土壌になっているのではないのかと考えてしまいました。
なんだか感慨深い話です。

また、中学でいじめられてきた生徒が諏訪養の高等部に入学してくると、いじめに走るのではなく人を助ける優しさでいっぱいだそうです。このことから障害があるから、深く悩み、他人のこと、社会のことを考えていることがわかったそうです。

いま、出来が悪いとか、ダメな奴とレッテル貼られている人も環境が変われば、能力をフルに発揮できるかもしれません。また出来の悪さなんて僕たち社会がその時の価値観で決めたことで、違う側面から見ればそんなことは無いのかも。障がい者に限らず「差別」というのは、やっぱりぼくたち社会がつくりだしているのだと思います。

関先生は去年、信濃境の駅付近に八ヶ岳南の学校を開校。
障がいがあっても、誰でも生活し働いて学ぶ地域の学校を目指しています。

以前、議会だよりにも紹介させて頂きました。
http://www.town.fujimi.lg.jp/uploaded/attachment/9189.pdf

すてきな活動ですね。
応援していきたいと思います。

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