脱成長の社会

朝日新聞の国際面、1日の内容は脱成長がテーマ。

今から20年以上前になるのかな、ぼくはコンビニの店長をやっていたんだけど、そのころ売上が前年同月比で5%上がっていなかったら始末書もの、前年比割れなんていったら大変な騒ぎだったんだ。

おかしいよね、コンビニなんてフランチャイズだから決めごとが多い、出来ることも限られている。もちろん個別の努力も必要だけど、立地と社会的要因というのはさけられない。
そんななかで常に成長しなければいけないことを求められるなんてナンセンス。

そのころからぼくは、なんで成長し続けなければいけないのか、疑問に思ってました。
今年は良いけど、去年は駄目だった。来年はどうかな。というのが普通じゃんね。

フランスのセルジュ・ラトゥーシュという思想家は
「脱成長」とは、成長という信仰から離脱するためのスローガンだ。欧州でいま、景気後退や失業で脱成長を強いられた人たちと、脱成長を主体的に選びとる人たちとが生まれている。
と朝日新聞。

さて、ぼくたちはいま、世界中で誰もが経験のない高齢化社会を迎えようとしている。医療、介護、福祉の分野で多くの費用がかかってしまうだろう。
この状況を克服するには3つの動きがあると思う。

一つは維新の会をはじめとした考え。
競争原理と自己責任を至上とする新自由主義。

もう一つは民主党なんかがいっていた税と社会保障の一体改革。
たんなる一時しのぎにしかならないと思うが。。。

そして、自分たちの社会はここまでと認識して、この範囲のなかで、どうしたら良い社会になるかを考えていくこと。行政だけではなく、市民と行政が一緒になって社会をつくっていく。

ぼくは、これからの社会をつくっていくには3番目のまず自分たちの範囲を認識し、その範囲のなかで新しい協働の社会をつくっていくしかないと思うんだよね。

そしてラトゥーシュの言葉はこう続く。

脱成長のために重要なのは、グローバル経済から距離をおき、地域の経済や文化を再生する「再エネルギー化」だ。
再生可能エネルギーの導入などを大胆に進める転換も欠かせない。労働時間の大幅な短縮も進めるべきだろう。

この意見には賛成だ。
では、なぜぼくが富士見のメガソーラーに反対するのかと思う人もいるだろう。

それは、あの発電施設は中電に売電を目的として建てられるものだからです。

あの発電所があったからといって災害時に富士見の電力をまかなうことはできません。中電の系統に繋ぐということは、中電が災害で駄目になったら富士見も駄目ということです。
しょせん系統に繋ぐということは大企業に販売してなんぼ、地産地消の思想にはほど遠い。しかも雇用は生まれません。

エネルギーの地産地消を謳うんだったら、蓄電池の活用などで独立したエネルギーの供給体制をつくること、太陽光に特化せずいろいろなエネルギーを取り入れたベストミックスを模索することだ。

年末の衆院選で自民党が圧勝した。
いろいろなことが言われている。小選挙区制の問題、政党乱立、はたまたねつ造疑惑まででているけど、やっぱり問題は争点が原発とかじゃなく、経済の復興にあったんじゃないかなと思う。

でも経済の復興って政治の話なのかな。

ぼくは政治というのは競争原理が働かない福祉や教育なんかに力を入れるべきで、経済に関しては、助けることは必要だが補完的な存在でしかないと思う。

自民党がやってきたことは地元の利益誘導や、円高やインフレ対策等の金融操作。
でもその金融操作もうまくいってはいない。
バブルははじけたし、ぼくみたいな庶民はバブルの恩恵にもあやかっていない。
大企業のための単なるマネーゲームでしかないのさ。

ぼくたちは、そろそろ他人任せではなく、自分たちで自分たちの暮らしをどうしていくか考えていかなければいけないんじゃないかな。

ぼくたちに大切なのは、小さなコミュニティのなか、福祉や教育、経済、政治なんかが自分たちの立ち位置で、良い意見を出し合って、より良い社会をつくっていくことではないだろうか。

理想だけどね。

ま、正月なので。

酔ってるし。。。

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